いたるおじさん
VS
おにぎり太郎

「いたるおじさんは、今日もおにぎりを握っています。いたるおじさんは、おにぎりを握って、みんなが笑顔になるのが大好きです。今日はどんなおにぎりを作ろうかな? 今日はどんなお客さんが来るのかな? いたるおじさんのおにぎり三兄弟のお話。はじまりはじまり」

明るいキッチンで炊飯器とアルタの米袋の前に立ついたるおじさんとネズミくん。対照的に、伝統的な羽釜と炭火の前に立つおにぎり太郎の対比イラスト

ここは、町のみんなを笑顔にする小さなおにぎり屋さん。店主のいたるおじさんは、ただの優しいおじさんではありません。実はおにぎり界を牛耳る「四天王」と呼ばれる強敵たちと料理バトルを繰り広げ、フレンチの坂井シェフ、ハヤブサのタツ、そして香りの魔術師倍賞美津子さんという3人の刺客を次々と打ち破ってきた凄腕の持ち主なのです。

そしていよいよ、四天王最後の一人、「おにぎり太郎」と対峙する日がやってきました。おにぎり太郎は、その名の通り、見るからにおにぎりのようにふっくらして美味しそうな顔つきをした男でした。

今回の対決ルールはシンプルかつ過酷でした。「具は一切なし。お互いに最高のお米と道具を用意し、究極の『塩むすび』を握ること」

対決の前日、いたるおじさんの相棒であるネズミくんが、血相を変えて店に飛び込んできました。

「いたるおじさん、大変だよ! おにぎり太郎の用意した素材が凄すぎる! 大分県の山奥で少ししか取れない幻のコシヒカリに、大分の名水。自分で鉄を打って作った特製の羽釜に、最高級の備長炭! 塩は3種類をブレンドして、海苔は有明海産の最高級品だって!」

ネズミくんは震えていました。「いたるおじさんは、どんな凄い道具で勝負するの?」

いたるおじさんはニコッと笑って答えました。

「大丈夫だよネズミくん。僕も奮発して、スーパーの『アルタ』で1キロ2500円もする一番高いお米を買ってきたよ! お水は『マックスバリュ』で買った六甲のおいしい水(2リットル100円)だ」

「う、うーん……」「塩はもちろん『伯方の塩』さ! そして道具は……『ベスト電器』で5万円もした最新型の3合炊き炊飯ジャーだ! すごいだろう?」「う、うーん……」

ネズミくんは頭を抱えましたが、「いたるおじさんは道具じゃなくて技術で勝負だもんね!」と、あえて明るく励ますしかありませんでした。

真剣な表情で完璧な三角形のおにぎりを握るおにぎり太郎。羽釜と木樽のご飯と湯気のイラスト

いよいよ決戦の朝。会場にはピンと張り詰めた空気が漂っていました。

「それでは、ゴー! おにぎり!」

審査員の掛け声とともに、二人は一斉に動き出しました。おにぎり太郎は真っ赤に燃える備長炭を羽釜の下にくべ、大自然の恵みを閉じ込めるように豪快にご飯を炊き上げていきます。

一方、いたるおじさんはコンセントにプラグを差し込み、「ピッ」と炊飯ジャーのスイッチを押しました。

やがて、両者のご飯が炊きあがりました。おにぎり太郎は羽釜の蓋を開けると、もうもうと立ち上る湯気の中へ素手を突っ込みました。

「アッツ、アッツ、アッツ!」

そう言いながらも、流れるような美しい所作で、あっという間に完璧な三角形のおにぎりを握り上げました。

炊飯器から真っ直ぐご飯をつかもうとして叫ぶいたるおじさんと、驚いて見上げるネズミくんのコミカルなイラスト

それを見たいたるおじさんは焦りました。「ぼ、僕も炊飯ジャーから直接いってみるか!」

しゃもじを使わずに素手でご飯をつかんだ瞬間……

「あっつい!!」

たまらずご飯をポロリと落としてしまいました。「無理したらダメだ……」と気を取り直し、いつも通りお茶碗に一度ご飯をよそって、フーフーと冷ましてから、伯方の塩をつけてギュッギュッと丁寧に握りました。

「できあがりました」

二つのおにぎりが審査員の前に並びました。その瞬間、いたるおじさんは息を呑みました。おにぎり太郎の握ったおにぎりは、お米が一粒一粒しっかりと立ち、照明を浴びてツヤツヤと宝石のように輝いていたのです。

おにぎりを味わういたるおじさんとおにぎり太郎。涙を流しながら食べる様子と、穏やかに微笑む様子のイラスト

いたるおじさんはこれまで何千回、何万回とおにぎりを握ってきました。(ああ……僕が本当に握りたかった『理想のおにぎり』は、これだったのかもしれない)

そう直感したいたるおじさんは、居ても立っても居られず、思わず手を伸ばしておにぎり太郎の作品を食べてしまいました。

「パリッ!」

最高級の海苔が心地よい音を立て、口の中でご飯がホロホロと優しくほどけていきます。お米は甘く、ブレンドされた塩がその甘みを極限まで引き出していました。具など入っていなくても、永遠に食べ続けたくなる究極の味でした。

「おいしい……これが、僕の握りたかったおにぎりだ」

いたるおじさんはポロポロと涙を流し、「僕の負けです」と宣言するやいなや、脱兎のごとく会場から逃げ出してしまいました。

「いたるおじさんが負けた!? ショックで命を絶ってしまうんじゃ……!」慌てたネズミくんが小さな足で必死におじさんの家まで追いかけると、中からガタゴトと物音がします。

「いたるおじさん! 早まるな! いたるおじさんのおにぎりは温かくて美味しいよ! 死んじゃダメだ!」

泣きながらネズミくんがドアを開けると、そこには、パンパンに荷物を詰めたリュックを背負ういたるおじさんが立っていました。

「ん? どうしたんだいネズミくん。死ぬなんて、そんなわけないじゃないか」

いたるおじさんの目は、キラキラと輝いていました。「僕はおにぎり太郎のおにぎりを食べて感動したんだ。おにぎりには、まだまだ無限の可能性がある。僕のおにぎりも、もっともっと美味しくなる! だから僕は、日本中、いや世界中を旅して、究極のおにぎりを作れるようになって帰ってくるよ。それまで、どうか店を頼む!」

その頃、会場では勝者のおにぎり太郎が、残されたいたるおじさんのおにぎりを一口かじっていました。スーパーの安い水、普通の塩、そして炊飯ジャーで炊いたご飯。それなのに、想像を遥かに超える深い旨味と、作り手の優しい温もりが詰まっていました。

「……もしこの男が、本当に素材と向き合い、技術を極めたとしたら、どれほどの化け物になるんだ?」おにぎり太郎はニヤッと笑い、約束だった「敗者の店を潰す」という条件を保留にすることに決めました。

旅立ついたるおじさんが荷物のカートを引き、泣きながら手を振るネズミくんにおにぎり屋の前で別れを告げるイラスト

こうして、いたるおじさんの長い長いおにぎり修行の旅が始まりました。彼が再びこの町に帰り、おにぎり太郎との再戦を果たすのは、ここから3年後のこと。